重田 辰弥 しげた たつや
正会員
会社名 | 株式会社日本アドバンス |
役職 | 代表取締役社長 |
趣味 | – |
出身 | 沖縄 |
会社URL | https://ja-jp.facebook.com/nihonadvance |
ご挨拶
私は那覇高校卒業後、琉球大(法学部)に入学しますが1年で退学、早稲田大学(文学部)を受験、転学します。早稲田を卒業後は琉球新報東京総局(記者)として入社しますが、池宮城秀意社長からの沖縄本社転勤指示を辞退し、総理府(行政管理庁)に転職します。行政管理庁で行政管理官として4年勤務しつつ、中央大学(第2法学部)に通学、司法試験を受験しますが失敗、ビジネス・コンサルト社(BCON)に転職、8年勤務します。この時のシステム営業部長としての経験を基に38歳でIT会社・日本アドバンスシステムを立上げ、以来社長として30年経営します。
この間、沖縄から毎年インターシップを引き受ける一方、琉球大(工学部)や浦瀬工業高校(情報処理科)等々から延べ200人を超える県出身を採用しました。このことが評価され、稲嶺、仲井真歴代知事より「感謝状」を頂き、翁長知事から「県功労賞」を受賞します。初代から現在まで「沖縄美ら島大使」の拝受もその実績が評価されたと思います。
創業30年で一期を除き黒字経営の継続でしたが、売り上げは20億円で、これがIPO(上場)できなかった経営者としての私の弱点でした。
これは私のSRI(経営責任)より、CSR(社会責任)としての「関東沖縄経営者協会」、「関東IT協議会」、「WUB東京」等々の会長職を引き受けたスタイルの功罪か?
経営者にとってもう一つの課題は後継社長をどうするかの事業承継です。私は創業30年目に会長に就任し生抜きのプロパー社員に社長職を継承しました。創業者にとってもう一つの課題は資本の継承です。これはまた後程に!
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